2020年3月1日日曜日

おひなさま

有馬家所蔵の雛人形
33日は桃の節句です。女の子の健やかな成長を願って、雛人形や吊るし雛を飾ったり、蛤(はまぐり)、ちらし寿司・あられなどをいただきます。
もともと節句とは1年を24節に分けその節目として行事を行う中国の風習で、特に上巳(じょうし)すなわち3月上旬の巳(み)の日には水辺で禊(みそぎ)を行っていたものが、33日に盃を流水に浮かべ酒を飲む「曲水の宴」として日本に伝わり、奈良時代には宮中の年中行事として行われるようになりました。
さて、現在のような雛人形はいつ頃から登場したのでしょうか。平安時代、紙で作った人形に穢れを移し川に流す「流し雛」が行われていたのと同時に、宮中や貴族の子女が「ひいな」と呼ばれる小さな人形とミニチュアの御殿でおままごとのような遊びを行っていました。この遊びが上巳の節句と結びついたのではないかといわれています。
時代が下り江戸時代には、55日の端午の節句を男の子の行事、そして上巳の節句の祓いの行事に女の子のお祭りとして雛祭りが行われるようになりました。女性の一生の災厄の身代わりとして身分の高い女性の嫁入り道具の一つとなり、武家や商家ではとても豪華で贅沢なものになっていきます。内裏雛とよばれる雛人形は天皇皇后の結婚式を模しているともいわれます。「内裏」とは天皇の御所のことで、内裏の中の紫宸殿の庭にある左近の桜と右近の橘も模されたものが飾られます。幕末には官女・随人などの従者が添えられ、様々なお道具や牛車なども作られました。

水天宮では神札所と待合室に雛人形を飾っています。
ご参拝の際はぜひご覧になってくださいね。