水天宮の境内には安産子育河童の銅像があり、ご参拝の皆様がよく柄杓で水をかけていらっしゃいます。いったい水天宮と河童の関わりってなんだろう?と不思議に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
大昔、中国から海を泳いで渡って来た河童の一族は、熊本の球磨川にたどり着き千年程のんびり暮らしていましたが、悪さを働いたため加藤清正に追われ、改心することを条件に、久留米藩の有馬公から筑後川に棲むことを許され、水天宮のお使となったということです。江戸の久留米藩上屋敷に水天宮の御分霊を祀りするようになり、有馬家に付き添って江戸へ移り住むこともあったという逸話もあるそうです。
また、平家の大将である平清盛が巨瀬入道という名前の河童になり、久留米市東部を流れる巨瀬川(筑後川の支流)の主となったという話も残っています。そして巨瀬川沿いの田主丸駅は通称かっぱ駅として有名で、駅舎が河童の形をしています。※写真は平成26年撮影。
皆様も色々な河童伝説を是非、調べてみてはいかがでしょうか。
また、平家の大将である平清盛が巨瀬入道という名前の河童になり、久留米市東部を流れる巨瀬川(筑後川の支流)の主となったという話も残っています。そして巨瀬川沿いの田主丸駅は通称かっぱ駅として有名で、駅舎が河童の形をしています。※写真は平成26年撮影。
皆様も色々な河童伝説を是非、調べてみてはいかがでしょうか。